
IKIJI MAGAZINE

春の風を纏う 新作コートをご紹介
肌寒い春に大活躍する新作をIKIJI本店スタッフがご紹介。非常に珍しいニドムバイオ加工を施したスプリングコートが登場です。 春の新作コートが入荷いたしました。コットン素材なので軽く羽織っていただけます。しかし、ただのコットンではありません。ニドムバイオと呼ばれる特殊な加工を施しているため弾力...
Read more
IKIJIの流儀18-プレミアムフリース
日本では古来からあまり防寒着がありませんでした。何枚か重ねて着るのが普通でした。江戸時代からは、丹前という綿入れの羽織物で「どてら」とも言われたものを着るようになりました。この原型は吉原の有名な遊女だった勝山の衣裳からのようです。勝山は神田の風呂屋の湯女で、その場所は堀丹後守の前にあったので...
Read more
粋字のかわら版-並でない店
独自の取材でまとめた、シャイな江戸っ子の好きな処をご紹介する、粋字のかわら版。今回はなんと洋モノ屋さん! 両国界隈は江戸の昔から職人の街で、当然の如く和の世界のモノが多いですが、今回はなんと革靴屋さんの紹介です。並の革靴屋さんとは訳が違う世界にその職人芸が認められ、なんと米国の超大物エ...
Read more
粋字のかわら版-床屋
江戸っ子は縁起の悪い事が大嫌いで、言葉でも「忌み言葉」という縁起が悪く聞こえる言葉は、縁起が良く聞こえる言葉に換えてしまう。例えば日常の「髭を剃る」は江戸っ子が喋ると「しげをする」になり、博打などでの「かねをする」に通じることから、逆に博打で掛けが当たるに引用して、「髭をあたる」というように...
Read more
IKIJIの流儀17-天麩羅と天鵞絨
秋も深まり、何といっても食欲の秋ですね。海のモノ、山のモノ、実りの秋の旬の食材がいっぱいですね。「江戸の三味」と言えば、寿司に蕎麦に天ぷらですね。これらは全てお座敷料理ではなく、庶民が食べる屋台で出す現代でいうファストフードだったのです。今では世界的にも有名になって、日本を代表する高級料理に...
Read more
IKIJIの流儀16 -おもてなし
2020年東京オリンピック招致の時の有名なキャッチフレーズが「おもてなし」でしたね。 世界にこれほど日本語でアピールした言葉は無いでしょう。これを英訳すると「ホスピタリティ」でしょうか?これは本来、接客や接遇などを介して、人と人だけでなく人と社会や環境あるいは自然等との関わりにおいて、円...
Read more
IKIJIの流儀15-どんぶりはポケット
江戸時代まで、日本人はポケットの付いた衣服をほとんど着てはおりませんでした。武士は両手を空けておかねば刀は使えず、金銭や手拭いなどは普段は懐に入れるか、袖の袂に入れておくかでした。町民たちは、ちょっと洒落た男衆は巾着のような袋物を持ち、今でいうバッグ的なものに入れておりました。それをなぜか「...
Read more
IKIJIの流儀14 - 鹿の子
よく、簡単な仕事をこなしてしまうのを、「おちゃのこさいさい」と言いますが、これを言い換えると「朝飯前」ですね。朝飯前は力が入らないから簡単な仕事しかしないよという意味ですが、と朝飯の前に食べる「茶粥」を「お茶の子」と呼ぶ地方があり朝飯前はお茶の子だ!とも言われておりますが、私はもう一つの、茶...
Read more
IKIJIの流儀13 - お洒落はキザらない?
江戸人は「キザ」と言われる事が一番嫌がっておりました。「キザ」は「気障」と書いて、ギザギザチクチクジャラジャラではないが、人に「気障り」な状態を指し、現代で言うデリカシーのない人の例えに使われておりました。逆に、粋(いき)や通(つう)といった江戸人が好んだ美意識は、わだかまりのない、さらさらし...
Read more
IKIJIの流儀12 - 暑気払い
暑い暑い夏になりますと、昔から体を冷やす効果のある食べ物や飲み物を頂き、体に溜まった熱気を打ち払う「暑気払い」というのがありました。現代のような冷蔵庫が無かった江戸時代には、「体を冷やす効果のあるもの」として枇杷や桃の葉を煎じた「枇杷葉」という薬湯を飲んでいたようです。その後に、単に夏場の暑さ...
Read more
IKIJIの流儀11 - 盆休み
夏休みと言えば子供だけでなく大人も楽しみにしているお休みですね。ただ大人の場合は通常「お盆休み」ということになりますね。江戸時代までお休みは「正月とお盆」と決まっておりました。現代のような七曜日は、明治時代になってからで、江戸時代までは日曜日はお休みとかという曜日感覚は無かったようです。つまり...
Read more
IKIJIの流儀10 - 江戸の花火
江戸の花火と言えば、それは日本最古と言われている、隅田川花火大会ですよね。今年も7月27日の土曜日に開催されます。元々は享保18年(1733年)の「両国川開きの水神祭」に河川航行の安全祈願や水死人の霊を弔う意味で、舟から花火を打ち上げたのが始まりのようですから、286年前からなのですね。この当...
Read more