6月 17, 2019
IKIJIの流儀7 - 気っ風のいい街
職業や住む町毎にも、そこに息づいているそれぞれの気質がありますね。ここ両国は大川(隅田川)を挟んで日本橋側は「武蔵の国」対岸は「下総の国」で二つの国にまたがるので両国と呼ばれましたが、今現在は下総側だけに両国という地名が残っております。この大川から吹いてくる川風が本当に気持ち良いです。江戸は古来西風が強く日本橋側から大川を通って風が吹くので、基本的には大川の川風は両国側に吹く風となります。
「粋な深川 鯔背な神田 人の悪いは麹町」と昔は言われておりましたが、深川は粋な芸者さんたちで、神田は鯔背な若い衆たちが多く、麹町は悪代官ではないが江戸の町民たちからすれば、何もしないお侍さんたちを揶揄して言っていたのでしょう。この粋な深川と鯔背な神田の間にある町が両国なのですね。では粋と鯔背の間の両国はなんと呼ばれていたのでしょうか?
江戸時代から両国墨田は職人たちの街でしたので、職人気質と言えばそうなのですが、ただ両国はただの職人たちではない、粋と鯔背の狭間で育ったものですから、頼まれたら断れない、役に立つことであれば損得を抜きで取り組む、手間が掛かろうが請けた仕事は手際良く成し遂げ、仕事を褒められれば「あたぼうよ」と一言いって川風のごとくさっと去り、仕事を終えれば手銭で一杯ひっかけて帰る。やっぱり両国は風を感じる街ですね。
「粋な深川 鯔背な神田 気っ風のいいのは両国で、お高く留まった麹町」私はこんな感じだと思いますね。本来は気風(きふう)ですが、やはり両国は気っ風(きっぷ)ですね。こんな気っ風のいい街のDNAを持って生まれ受け継いだIKIJI は大川からの風のごとく爽やかで、次の世代までこの素晴らしいDNAを引き継いで行きます。